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  4. 神学館2階の展示について(2019年度 壁面展示)

2019年度 壁面の展示

肖像画「日野真澄」(製作者不明)

日野真澄
一八七四年(文四)一月十二日生
一九四三年(昭十八)五月十四日永眠

山形県で誕生、一八九〇(明二十三)年東華学校に学び信仰を得て受洗、同志社神学校に入学。一八九七(明三十)年卒業してユニオン神学校に留学、教理史を学び、卒業後コロンビア大学に移り、哲学を専攻、一九〇〇(明三十三)年卒業、一九〇二(明三十五)年十月二十四日按手礼を領して伝道者養成に当たる。一九一二(大元)年神学部長となり一九一八(大七)年、同志社紛争事件の渦中に在って、同志社を去り、基督教々理史の執筆に専念し之を公刊された。
一九一九(大八)年一月二十五日火災の為一夜にして五人の愛児とその蔵書の一切を失うと言う悲劇に遭遇。その後、神戸高等商船学校講師、教授となり倫理学を講ず。一九二九(昭四)年三月退職、二年間引きつづき講師として出講された。神学部に帰ることはなかったが「イザヤ書注解」「ガラテヤ書注解」等の著作により教界に貢献された。
一九四二(昭十七)年八月京都を去り横浜へ、更に平塚市へ移り、一九四三(昭十八)年五月十四日静かに召された。六十九歳。

(天上之友 第三編(1988), 基督教世界社, p.48)

肖像画「富森京次」(中堀愛作 筆)

富森京次
一八八七年(明二十)四月十日生
一九五四年(昭二十九)九月一日永眠

京都市で誕生、信仰篤き母の感化を受け、膳所中学から同志社神学校に入学、一九一二(明四十五)年卒業。一九一四(大三)年同志社神学部講師に就任の後渡米留学、一九一九(大八)年六月エール大学で、一九二一(大十)年六月シカゴ大学でそれぞれ学位を得て帰国母校神学部教授に就任、伝道者養成に力を注がれた。一九二三(大十二)年十一月四日按手礼を領し、牧師として組合教会の宣教と牧会の中に自らを置かれた。書家厳谷一六居士を祖父に、児童文学者巌谷小波を叔父にもった先生の著作には豊かな文学的天分が現れている。一九〇二(明三十五)年四月三日、水口教会で西尾幸太郎牧師から受洗、強く伝道の志を持たれた。神学教育に従事するようになっても直接間接に全国の教会に奉仕された。
一九二九(昭四)年から十四年間、神学科主任の重責を担い激務に耐え、戦中戦後の食糧不足等困難により消耗して一九五三(昭二十八)年神学部の職を退かれ、翌年九月一日六十七年の生涯を閉じられた。洛北教会の創立者の一人。軍国主義支配下でヨハネ黙示録を読み、迫害下にあった初代信徒が殉教を余儀なくされたことに思いを馳せ「愛のない殉教は空であり、国家の現状を直視してキリスト者の責任を回避しないように」と訴えていた。

(天上之友 第三編(1988), 基督教世界社, p.117)

書幅「積善慶美積悪発悪」一行書き~新双洞~(海老名弾正 筆)