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クラーク記念館(旧神学館)
クラーク記念館とは
新島襄が逝去した翌年の1891年、米国のニューヨーク州ブルックリン市のB.W.クラーク夫妻から、神学館の建築費として10,000ドルの寄付が同志社になされました。これは23歳という若さで早逝した夫妻の息子バイロン・ストーン・クラーク(Byron Stone-Clarke)を記念して贈られたもので、翌1892年11月に定礎がなされ、1894年1月に献堂されています。設計者は当時東京にいたドイツ人R.ゼールで、施工は京都の大工小島佐兵衛が担当しました。
建築費は寄付額を超過し、その分1,500ドル(2568円67銭5厘)は重ねてクラーク夫人の寄付によっています。建築の1階の右側の壁面には、バイロン・クラークを記念した言葉“THE STUDY OF THE WORD OF GOD WAS DEAR TO HIM”(聖書を学ぶことは彼が愛好してやまないものであった)と刻まれています。クラーク記念館(旧神学館)は、1963年に新しい神学館が建築されるまで同志社の神学教育と研鑚の場として、その印象的な容姿とともに重要な働きを担ってきました。
1世紀を過ぎるうちに館は重要文化財となり、やがて老朽化が進んで行きました。同志社ではこの貴重な館を建設当時の人々の思いとともに後世に伝えるため、2003年から2007年にかけて大規模修復工事を行いました。館は新たないのちを与えられ、再び学生たちを迎え入れる喜びにあふれています。
クラーク記念館ペーパークラフトコーナー
カラー版[PDF 682KB]
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ホワイト版[PDF 472KB]
真っ白なクラーク記念館もかっこいいよ!
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