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「地の塩」石田英雄の歩み(2021年度 図書室内展示)

富森教授への手紙 1936(昭和11)年9月7日付

富森教授への手紙(1) 富森教授への手紙(2) 富森教授への手紙(3)

夏期派遣神学生として猪股氏が曽根セツルメントに来援。それに対する礼状と思われる。

富森先生
残暑きびしくありますが、秋の御活動の為
お祈り致します。猪股(いのまた)君の御援助
を心より敬服して居ります。厚く々々御
礼申上げますが、唯今一言所感を申上げ
たいと思ひます。氏にしても欠点なき
にあらず、若いからかしら他人と話す時
凡ての事に結論をつけたがる癖は見へます。
むしろ、「成程」で流しておく気軽さが必要
だと思ひます。あれは東北人の癖であ
りませうね。社交人としては注意がいる。
何よりも感心なのは暑さにめげず水田の
中で働く気概であります。実によく働
いてくれました。あれ丈(だけ)で夏の仕事は満点と
なす方でありますし、私は何が出来
なかったとしてもあれ丈で氏の御来援は
神の前にフルマークと思ひます。青年
たちも、今になってききますと敬服して居(お)り
ます。学問した人があれ丈(だけ)やるのに、農村
青年が勤労を忌むはずはないと。
先生どうぞ安心しよろこんで下さい。神学生
が皆あの様であるなら私は母校の将来に安
心します。あんな人なら毎年こちらから是
非御来援を訪(ねが)いたいと思ひです。私共の
満足をどうぞ想像して下さいませ。
夫人によろしく
9月8日       石田英雄
先生     玉案下

故石田英雄氏事業後援会の趣意書と発起人名、および追悼文(「旭の光」1941[昭和16]年)

故石田英雄氏事業後援会の趣意書と発起人名、および追悼文
故石田英雄氏事業後援会の趣意書と発起人名、および追悼文

『社会的基督教』への寄稿(「田舎向き基督教」1937[昭和12]年)

『社会的基督教』への寄稿(1)
『社会的基督教』への寄稿(2)

石田英雄の詩(1939年3月21日)

石田英雄の詩

戸外の風物は皆
野も山も
細い春雨に烟って居るが
私の心はあやしく踊って
昨夜来の感激に奮へて居る
聖旨は如何に広く深く
御言葉はなんと有難くして甘美なることよ
思へば思う程
私は茲に立ちすくみ
襲ひきたる霊動のはげしさに
へたばって仕舞ふ程である
神はかく生き斯く動き
力強く
人の魂に喚びかけて居るのではないか
人の子よ父の神に
友よたましひの郷里に
帰って扱まずや
湧き上る生命の泉
  一九三九、三、二一
         耕牧生

竹中正夫『土に祈る―耕牧石田英雄の生涯―』 教文館、1985年

『土に祈る』竹中正夫著

『曽根教会 50周年記念誌』23頁 「曽根教会の思い出」石田園江

『曽根教会 50周年記念誌』
『曽根教会 50周年記念誌』23頁 「曽根教会の思い出」石田園江

農民福音学校に賀川豊彦を迎えて(1928年3月2日)

農民福音学校に賀川豊彦を迎えて(1928年3月2日)

前列左から二人目 石田英雄 四人目 賀川豊彦

石田一家(1929年12月24日)

石田一家(1929年12月24日)

左からたき[英雄の母]、村夫[長男]、英雄、園江[妻]

第一回農繁期託児所(1929年)

第一回農繁期託児所(1929年)

家の前の空き地を利用した青空教室であった

曽根教会創立時代

曽根教会創立時代

前列左から五人目 石田園江、村夫[長男]
後列左から四人目 石田英雄。隣は賀川豊彦

曽根教会第二回洗礼式(1931年5月17日)

曽根教会第二回洗礼式(1931年5月17日)

後列右から二人目 石田英雄

神戸女学院卒業写真

神戸女学院卒業写真

前列右から二人目 石田園江

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