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2024年度 壁面の展示

NORMAL MUSIC COURSE CHARTS

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肖像写真「大下角一」

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大下角一
一八九九年(明三十二)九月二十日生
一九六二年(昭三十七)四月二十一日永眠

ハワイ島コナで誕生され苦労力行、自力でヒロ高校を卒業、弁護士を志してハワイ大学に進む。一九一八(大七)年六月ヒロ組合教会で受洗、その数カ月後エディ博士の講演に深く打たれ、伝道者となる決意を牧師に打ち明けた。
ミズリー州立大学に転じて社会学を修め、卒業後、シカゴ大学神学研究科を経てシカゴ神学校を一九二七(昭二)年に卒業。かねてからの念願であった日本伝道を志して同志社高等商業学校教授に就任。一九二八(昭三)年海老名総長の娘と結婚、一九三〇(昭五)年単身シカゴ大学に帰り博士課程を修めて帰国、一九三一(昭六)年九月番町教会牧師に就任。一九三五(昭十)年三月南大阪教会の招聘を受けて牧師に就任。爾来精魂を傾けて伝道牧会に当たった。一九四八(昭二十三)年同志社大学神学部教授、後に神学部長を兼任された。神学生を愛し、神学校と教会両方の伝道牧会に全精力を傾けた。一九四九(昭二十四)年宗教部長を兼任、一九五四(昭二十九)年大学長に選出された。京都市公安委員等多くの公職を持ち乍ら変わることなく伝道者の光栄を担い続け主の召命に応えた。気力と情熱に満ちた先生も遂に病に勝てず、一九六二(昭三十七)年四月二十一日召された。三十七年間牧した南大阪の羊の群を残して。六十三歳。子息秀三は牧師となった。

(天上之友 第三篇(1988), 基督教世界社, p.149。一部修正)

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